「物を捨てるのがかわいそう」は勘違い【逆です】
「使わずに捨てるのは物がかわいそう」
「大切に使っていた物を見捨てるのはかわいそう」
「ゴミとして燃やされるのはかわいそう」
こんな思いから、物を捨てられずに困っていませんか?
「かわいそう」という思いは捨てる決断の大きな足かせになりますよね。
しかし、はっきり言います。
それらは全くの勘違いです。
勘違いどころか、「捨てないから」物がかわいそうなのです。
私自身、物を捨てると決心して何度も失敗をしてきました。
しかし、この勘違いから解き放たれ、家の物を3分の1に減らすことができました。
この記事を読めば「その誤解」が解けて、「物を捨てられる」ようになります。
目次
1.「捨てる」よりも「捨てない」方が物がかわいそうである理由
理由は以下の3つです。
- 物が死にそうだから
- 物がもう死んでいるから
- 物が役割を果たせないから
1. 物が死にそうだから
「あなたの元で今、物が死にそうになっています。だからかわいそうです。」
順を追って説明します。
まず前提として、ここでは物を「生き物」として扱います。なぜなら、あなたは物に対して「かわいそう」と感じているからです。つまり気持ちがあると感じているわけですよね?それは生き物のように見ているということだと思います。
では、物が「生き物」ならどう接するのが妥当でしょうか?
それは当然「生き物に接するように」接することでしょう。
例えば、自分の子供、ペットなどを思い浮かべてください。
子供を育てたり、ペットの世話をするとき何をしますか?
- 食事を与える
- 活動させる(遊んだり運動したり)
ですよね?
「食事」と「活動」どっちが欠けても死ぬか病気になります。
では物にとってこの「食事」と「活動」は何にあたるでしょうか?
それは「手入れ」と「使われる」ことです。
人に使われて(活動)、手入れをされる(食事)からこそ物は生かされます。
では「使うか分からない物をしまっておく」とはどんな状態でしょうか?
それは「手入れされないし、使われもしない」ということ。
つまり、子供やペットに食事を与えず活動もさせていないのと同じです。
するとどうなりますか?
死にます。
つまり、物は収納の中で「飢え」と「運動不足」で死ぬのです。
これ以上にかわいそうな状態がありますか?
だから勘違いです。
だから「捨てるのがかわいそう」というのは勘違いだと思うのです。
捨てるなり、売るなり、譲るなりすれば、誰かが使ってくれるかもしれない。
燃やされたり分解されたりして形を変えて次の人生を歩めるかもしれない。
その可能性を全て奪うのが「ただ捨てないでとっておくこと」です。
食べ物も与えられず、運動もできず、ただ収納の奥で衰弱していくのです。
まだ息をしているうちに早く捨ててあげてください。
リサイクルショップに持っていってあげてください。
「使って手入れをする」という責任をまっとうできないのであれば、捨てるのが「本当に物のためを思った行動」ではないでしょうか?
それのどこが「かわいそう」なのでしょうか?
2. 物がもう死んでいるから
おそらく、もうすでに家の中で死んでいる物もあると思います。
例えば「大切にしていたもの」です。
これは、もうすでに言葉に表れています。
「している」のではなく「していた」のです。
大切であるなら、使わずともたまに手入れはしてあげるはずです。
もし手入れもせずにただしまってあるだけなら、それはもう大切ではありません。
もう役目をまっとうし、死んだのです。
そして、それを家にそのまま放置できるのであれば、行動に一貫性がないと言わざるを得ません。
死んだ物を家に置いておけるのはそれを生き物として見ていないからです。ただの物として見ているのです。
「捨てるのはかわいそう」と言って生き物のように扱い、では、捨てずに使って手入れするのかと思えばそうではなく、ただ家に保管している、つまり物のように扱っている。
これでは行動に全く一貫性がありません。
かわいそうで捨てないなら、ただしまっておくのではなく、定期的な手入れをするのが自然な行動ではないでしょうか?
かわいそうと思うのなら、生き物と同じ対応をしてあげてください。
大切にしていたペットが亡くなったらどうしますか?
死体をずっと家にしまっておきますか?
もうやるべきことはおわかりだと思います。
ちなみに、使わないけどたまに手入れをしてあげているなら、それはまだ生きているからだと思います。それを捨てる必要は全くないと思います。
3. 物が役割を果たせないから
「あなたの元では生きる役割を何も果たせません。だからかわいそうです。」
物には全て役割があります。例えば
- 本は情報を伝えるのが役割です。
- ハサミは何かを切るのが役割です。
- ギターは音を出すことが役割です。
- 美術品は人の感情を動かすことが役割です。
- 飾りや置物は部屋に彩りを与えるのが役割です。
というか、そもそも人が物を作るのは、何か目的を達成するためですよね?
だから全ての物に役割があるのは当然です。
これを踏まえて物の立場になれば「何が物にとってかわいそうか」というのが見えてくると思います。
捨てないでただ置いておかれたらどんな気持ち?
使うか分からないまま家に置いておくと物はどうなるでしょう?
物の役割を何も果たせないままじっと待ち続けることを意味します。
それがどれだけつらい状況か?
例えば、自分がある会社の従業員であることを想像してください。
普通、会社ではそれぞれ役割が与えられ、それを果たすことで自分に価値を感じられますよね?
役割があるからこそ頑張ることができますよね?
では、会社で何も役割を与えられず、
「とりあえずあの部屋でじっとしていて。もし必要になったら呼ぶから」
と言われたらどうでしょうか?
周りはそれぞれの役割を果たし、汗水流して働いています。 自分だけ何もせずただ部屋でじっと待っています。 今日も明日も明後日も… いつ必要になるかわかりません。 永遠に必要とされないかもしれません。
これ精神的に相当苦しいですよね?
こんな状態で会社に居続けたいと思いますか?
どこか自分を必要とする会社に、毎日役割を与えてくれる会社に移りたいと思いませんか?
つまり、これがあなたが物にやっていることです
使うかもわからないのに捨てないことで、物はこんな気持ちになるのです。
人が役割を与えてくれる会社へ移りたいのと同じように、物も誰か役割を与えてくれる人のもとへ移りたいと思っています。
それなのに、自分の手元に縛り付けて、「物がかわいそう」ではありませんか?
だから手放してあげるのです。人は自分の方から離れていくことができますが、物はできません。
あなたが手放さない限り、そこに居続けることになります。手放して苦しさから解放してあげてください。
2. 私が物を捨てられるようになって思うこと
「かわいそう」は自己満だった
私は、物に対して「かわいそう」と思う自分を見つめ直すことで、ようやく家のものを3分の1まで減らすことができました。
そして、今振り返ってみて思うのが、私は「物のため」ではなく「自分のため」にかわいそうという言葉を使っていたということです。
かわいそうと言うことで、自分が物を大切にしている、そういう安心感を得たいだけだったとわかりました。物の気持ちを考えているようで、実は全く「物の身」になって考えていなかったのです。
ただの「自己満」です。自分の気持ちを優先させていたのです。それなのに「物のためを思っている」と勘違いしていました。
痛みを胸に物を手放す
とは言っても、やはり最後に物を捨てる時には、痛みや苦しさが伴うと思います。
しかし、これは「負うべき義務」だと思います。
というのも、家で物が死にかけてしまうのは、おそらくこれまでに、軽率にあれもこれもと物を所有し、物が増えすぎ、大切にできなかった、その「過ちの証」であると思うからです。
だから、物を捨てて「その痛みを胸に感じる」ことが、この先物を欲張らずに、それぞれの物を大切にするということに繋がるのだと思います。
3. まとめ
ポイントをまとめました。
物を捨てない方がかわいそうである理由は
- あなたの元で物が死にかけている、もしくは死んでいるから
- あなたの元では生きる役割を果たせないから
「かわいそうだから捨てない」ではなく、
「かわいそうだから捨てよう」という気持ちに変わるきっかけになれば幸いです。